VOL.5 『宮本恒靖の歩み。』松波「じゃあ、そろそろツネのこれまで歩んできたサッカ人生について、話をしましょう。まずは、ガンバユースに入団した経緯…。」 宮本「え〜〜らい、前に遡りますね〜(笑)。」 松波「だってそこらへんの話って、今さら誰も聞かへんやん。」 宮本「まあ確かに、それは言えてるけど(笑)。」 松波「だから、な、まずは、中学はどこやった?」 宮本「この人、マジや…(笑)。えっと、金剛中学。中学までは中体連のサッカー部、つまり学校のクラブ活動の中でサッカーやってたよ。」 松波「強かったん?」 松波「誰か有名人はおった?」 宮本「同じ年代はおらんかったなあ。チャゲ(MF松山明男/元ガンバ)とかも、別に有名ではなかったしなぁ…むしろ、健旨(MF高木健旨/鳥栖)の方が有名やったんちゃうかなぁ。そうそう、有名人と言えば枚方FCいた広長くん(FW広長優志/横浜FC)がおったわ。彼は枚方FCやったしな。」 松波「じゃあ、チームとしては、どこが強かったん?」 宮本「たぶん、高槻10中とかになるんやろうけど、全国レベルで有名やった訳ちゃうからな。」 松波「毎年強いチームが変わってた感じ?」 宮本「ん、そんな感じやね。総体的には、北の方が強かったかな…吹田とか、高槻の方面が…。」 松波「で、中学を卒業して、ガンバユースに入ったけど、なんで、高校サッカーは選ばなかったん?」 宮本「なんやろ、単純に先輩後輩、とかの関係がいややったし…」 松波「その頃の大阪は、どこの高校が強かったっけ?北陽?」 宮本「そうやな、北陽とか、高槻南…でも高槻南は公立やったからね、学区が違って行けなかったし…。かと言って、北陽でがんがんにサッカーするのも嫌やったしね。で、その頃はすでにJリーグができるのが決まってたから、ユースでやってもいいんちゃうかな、と。ただ、広長くんが行った桐蔭高校から話があったときはちょっと考えたけどね。」 松波「どっから、そんな話が来たん?」 宮本「一応、関西選抜に選ばれてたっていうのもあるかもしらんわ…。でも、その時はうちの親が『勉強している中で、サッカーをやってるんやったらいいけど、サッカーばっかりやったら、それは良くない』っていう感じやったし、自分としてもそんな感じやったからね。で、どうしようかなって考えててんけど、自分としては、やっぱりサッカーをするならレベルの高いところでやりたいっていう気持ちはあって…。で、そんな時に、選抜の練習があってんけど、そしたらそこで上野山さん(現/ガンバ大阪育成部部長)がキーパー練習でボール蹴っててさ。すんごいボール蹴ってるから、誰や、この人?って思ってたら、『今は釜本FCの監督で、来年はその釜本FCがそのまま持ち上がって、松下のユースチームができるねん』っていう話を聞いて、じゃあ、俺もそこに行きたいな、と(笑)。」 松波「え? キックだけで(笑)? 」 宮本「いや、もちろん、そうじゃなくて(笑)、いろいろ考えるところはあってんけど、健旨とかも行くっていってたし…。で、まあ、日本リーグも経験してる人やから、そういう人に指導を受けてみたいな、と。」 松波「テストとかは?」 宮本「ありましたよ、一応。300人くらい来てたんちゃうかな、そのうち、結局30人くらいになったけどね。」 松波「先輩後輩も、もちろん、なく?」 宮本「まあ、入った時は俺等が一番最初のメンバーやからもちろん、なかったし、その後、下の奴らが入ってきてからも別になかったな。」 松波「そっか、そっか。っていうことは、ツネらは1期生やから、1年の時から3年の大会に出てたっていうことよな? 」 宮本「そうそう。でも1年時のクラブユースでは、何かしらんけど決勝までいったんですよ。決勝戦は読売とやって負けてんけどね。信義さん(MF小野信義/横浜FC)とかがいてて…うわあ、強い〜って思ったし、フィジカルとかも全然違ったわ。」 松波「俺らはフィジカルしか勝てなかったけどね(笑)。」 宮本「出たぁ〜!!さすが帝京魂(笑)。」 松波「俺らは『走りまけるな』ばっかりだったからね。走り負けたら終わりというか…ユースの奴らに走り負けたら次の日どれだけ走らされたことか(笑)。でも、1年時にそこまでいったんやったら、2年後はタイトル狙えるんちゃうかなって思ってたでしょ?」 宮本「それはどうかなぁ(笑)。」 松波「目標はやっぱりプロになることやったん? 目先の優勝とかじゃなくて?」 宮本「ん〜言葉にするのは難しいけど、毎日練習に出てボールまわしをするとか、当時はそういうことが喜びやったような気がする…。」 松波「それってユースならではの言葉だね。」 宮本「プロになるのを意識したのは、U-17が終わった頃かな。つまり、高校2年の夏。俺が1年の時にガンバができて、Jリーグ開幕前年度のナビスコカップを戦っていたでしょ? その翌年くらいにプロもいいかな、と。確か、松波さんは、そのナビスコカップの時が1年目やったよね?」 松波「うん、そうそう。当時は結構ユースが強くてね〜〜(笑)。」 宮本「うん、トップは弱かったけど(笑)。」 松波「そういうプレッシャーを常に感じてたね、俺らも(笑)。実際に、周りからも結構言われてたからね、『トップは弱いけど、下のユースのやつらは強いよな〜』みたいな(笑)。でも、そのプロになるっていう時は、親は反対しなかったん?」 宮本「俺が『大学に行きながらプロになる』っていう案をいった時は、『そこまでしてプロにならんでも、大学サッカーでもええんちゃうの?』と言ってたりしたけど、俺が『もっとレベル高いところでサッカーをやりたい』って言ったら、『まあ、いいやろ…』みたいな。で、高校3年の6月くらいちゃうかな、話がまとまったのは。」 松波「その時の話し合いには、一緒におったん?」 宮本「いや、親だけ。」 松波「まあでも、ガンバとしても理想だったよね。Jリーグができて、ユースチームから選手があがってきて…お前らの時は高校からは誰か入ってきたんだっけ?」 宮本「いや、高校からは来てないね。ガンバの考えとしてもユースから上げたい、みたいなのもあったみたいやし…。大学からは仁志さん(MF森下仁志/札幌)とか、のみさん(野見山秀樹/元G大阪)とかが途中で大学を中退して入ってきたりしたけど…。」 松波「アマチュアでやってたユース時代と、プロとはギャップはあった? それともそんなに変わらない生活?」 宮本「いや〜〜変わりましたよ、もちろん。」 松波「そのころ磯貝さん(磯貝洋光/元G大阪)とか、すごい選手もいたりして、また今とは違う雰囲気とか、厳しさとかがあったような気がするんだけど、どう?」 宮本「うん、そうやね。確かに磯貝さんとやる練習っていうのは…怖かった(笑)。っていうか……怖かった(笑)。プレー的にも、例えばボールキープしていっても運動量の違いとか、スピードの違いとか見せつけられれたしね。」 松波「ツネもサテライトの時代があったんだもんね? そういうこと、あまり今は知られてないやろうけど。」 宮本「うん、サテライト、けっこう長かったんですけどね(笑)。」 松波「そうよな。今のツネを見て、周りは苦労せずに成長してきたみたいに思っている人もいるみたいやけど、結構1年目とかは苦しんでいたよね? 俺はそういうツネも見てきたから知ってるけど…?」 宮本「うん、当時はサテライトとトップが、練習場や練習時間を分けられてたから、アピールしよう、とかそんなこともできなくて…今の環境の方が断然、アピールできると思うわ。」 松波「そういう面ではプロの厳しさを感じたんだよね…? モチベーションが下がることはなかった?」 宮本「夏ぐらいになって、SBSカップとかユース代表の試合とかもあったし、そういう意味ではタイミングよくモチベーションをあげる材料があったというか…。で、帰って来てトップにあがって…。」 松波「何も言われずにトップに来たん?」 宮本「うん、そうやね。でも、あの時は3-5-2のリベロにツベイバがいて、そのサブに和田さん(和田昌裕/現ヴィッセル神戸ジュニアユース監督)がいたじゃないですか。だから、僕はボランチとかやったりしててんけど、心の中では「ここは俺のポジションちゃうな」とかって思いながらやってたし、そのへんで身が入りきらないままやってて…。で、このまま1年目が終わるんかな、って思ってた時に、ポッとベンチにはいって、その時にツベイバが退場になって出場のチャンスが巡ってきて…それで。」 松波「そういう運は大事だったよね。基本的に当時、リベロは外人のポジションっていう感じだったしさ。そういう話も含めて、今の若い選手に、お前が苦労していた時代を見せてあげたいな、とは思うよ。みんなそういう苦労があるんだっていうことを、ね。」 宮本「(笑)。まあそれは松波さんも一緒でしょ。」 松波「その当時、ワールドカップや代表への意識は、どうだったの?」 宮本「当時は全然…(笑)。いや、全然でもないかな、ユース代表とかには入ってたからね。そういう意味では『代表にいるんや』っていう意識は持とうと思ってたけど、それよりもまず、チームで試合に出ることが大事やと思ってたからね。代表なんて、まだまだ先やっていう感じだった。」 松波「結局、ガンバでレギュラーを掴んだっていつくらいやったっけ?」 宮本「完全なレギュラーは…3年目かな。1年目で残り8試合くらいになった時に出始めて、その8試合に全部に出場して、天皇杯も出て準決勝までいって…。だから、その流れで2年目になってからも、試合に出してもらってたりしててんけど、俺が調子が悪かったりしたし、ボバン(DFバブンスキー/元G大阪)がリベロにいたから俺はボランチで出たり出なかったり…結局、13試合くらい出場したかな。で、3年目の最初も、キャンプのスタートはボバンがボランチとかをやって、俺がリベロでレギュラーっぽかってんけど、結局、あかんくって…。で、やっぱりボバンをリベロに戻そうっていうことになって戻してからは、俺は守備がための時とか、途中出場でしか使ってもらえなくなったんよね。で、その途中でワールドユースに出場して、帰って来たのと同時にまたボランチでスタートして…結局、その年は、そこからずっとイナとボランチ組んでたよ。」 松波「確か、エムボマ(FWエムボマ/元G大阪)がいた時だよね。」 宮本「そう、そう。エムボマ、松波さん、クルプニ、俺、イナ、仁志さん、ノリちゃん(DF實好礼忠/ガンバ)…システムは確か、あやふやな4バックやったよね(笑)。」 松波「懐かしいなぁ。あの時はイナもユースから上がってきて騒がれたりしたけど、やっぱりイナも1年目は全然弱かったよね。高校生で、すごい評判も高かったけど、俺らに言わせたら、フィジカルとか、やっぱり弱かったよ。スタミナはあったけど、あまりに軽かったし…。イナのプレーが変わってきたのは、たぶん、’98年の終わりくらいちゃうかな。」 宮本「そうよな。アントネッティになって、その年の終わりくらいかな…身体もでかくなってきて…。」 松波「うん。それはたぶん本人が試合とか練習の中で弱さを感じてトレーニングをやってたからだろうね。そういう『感じられる環境を知る』っていう意味では早い段階でトップチームに引き上げるっていうのは、良かったんだろうね。」
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